スキージャンプで日本人初の金メダルを獲得した経歴をお持ちの笠谷幸生さん。
ご結婚はされていて、同じ道に進んだお兄さんがいるようです。
今回は笠谷幸生さんの家族について調査。
ぜひチェックしてみてくださいね。
目次
笠谷幸生の家族構成は嫁・則子と子供はいない可能性あり!
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名前 | 笠谷 則子(かさや のりこ) |
生年月日 | 不明 |
職業 | 不明 |
笠谷幸生さんには、則子さんというお名前の奥さんがいらっしゃるようです。
一般の方のようで、詳細な結婚時期や則子さんの年齢・職業などは公表されていません。
笠谷夫妻に子どもがいた、誕生したという公表はなく、お子さんは持たれず2人家族で過ごされていた可能性があります。
笠谷幸生の家族の兄・昌生もスキージャンプ日の丸飛行隊だった!
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名前 | 笠谷 昌生(かさや あきお) |
生年月日 | 1935年1月14日 |
職業 | スキージャンプ選手・コーチ |
兄・昌生さんは幸生さんの8つ年上で、スキージャンプの選手として功績を残しています。
- 高校入学前にスキージャンプを始める
- 明治大学へ進学し、スキー部主将を務める
- 大学時代、インカレ総合優勝
- 1960年全日本選手権で選手引退
- 引退後コーチの道へ進み、初のビデオカメラ解析を導入
- 全日本スキー連盟の常務理事やジャンプ部長・強化委員会委員長・国際スキー連盟ジャッジを務める
スキージャンプを始めたのは高校入学直前でやや遅めのスタートですが、数々の功績を残しコーチとしても活躍されたことでスキージャンプ界に名を残したようです。
笠谷幸生は兄弟でスキージャンプ界の発展に貢献!
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兄・昌生さんは
- スキージャンプ界にビデオカメラ解析を導入
- 1972年の札幌オリンピックで全日本コーチを務め表彰台を日本人で埋める
- 全日本スキー連盟の常務理事やジャンプ部長・強化委員会委員長・国際スキー連盟ジャッジを務める
このような貢献をしており、幸生さんは、
- 1972年の札幌オリンピックで日本人初の冬季五輪金メダル獲得
- 全日本スキー連盟担当理事・ジャンプ部長兼ヘッドコーチを務める
素晴らしい成績を残したようです。
兄・昌生さんは日本のスキージャンプ界にビデオカメラを導入した功績があります。
ビデオカメラの導入により、踏切動作の解析がおこなえるようになり、その後のスキージャンプ界の発展に貢献しました。
幸生さんは日本人初の金メダルを獲得し、スキージャンプ界を盛り上げるなど、兄弟で日本のスキージャンプ界を発展させた功績があるようです。
まとめ
笠谷幸生さんの家族は嫁・則子さんとの2人家族である可能性があります。
兄の昌生さんは幸生さんと同じスキージャンプ選手・コーチとして功績を残したみたい。
笠谷兄弟は日本のスキージャンプ界の発展に大きな影響を与えた有名な兄弟です。
今後も笠谷兄弟の残した功績をもとに、日本のスキージャンプ界がさらなる発展をすることを期待しましょう。
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